赤ちゃんと子供のためのファーストミュージアム

ちひろ美術館・東京(練馬区)

ちひろ美術館・東京(練馬区)


プロフィール

中平洋子(なかひら・ようこ)/シニアアソシエイト(写真左)
1990年より、ちひろ美術館・東京に勤務。総務、財団事務、教育普及、国際交流などを担当。


武石香(たけいし・かおり)/アソシエイト(写真右)
1994年より、ちひろ美術館・東京に勤務。1996~97年、安曇野ちひろ美術館勤務。財団事務、教育普及などを担当。

多くのファンに支えられて誕生したちひろ美術館

ちひろ美術館はどのような経緯で開館されたのでしょうか?

中平さん:いわさきちひろが描く絵は、絵本・絵雑誌・紙芝居・広告媒体などで、広く知られていました。そのちひろが1974年に55歳で亡くなった時、とても大勢の人々が、ちひろの死を悼んでくれました。「いつ行っても絵が見られる場所を作って欲しい」と、ファンの皆さんからの熱い声をいただき、いわさきちひろの美術館をつくることになりました。

今でこそ全国に30館以上の絵本美術館がありますが、その当時は絵本の原画を美術館に飾るという行為がまだ一般的ではありませんでした。遺族が一般的な私立美術館にアドバイスを求めても、皆さん「採算が取れず苦労しますよ、悪いことは言わないからおよしなさい」と口をそろえて翻意を促されました。それであるならば、自分たちで作ってしまおうと、ちひろが暮らしていた自宅を半分取り壊し、その空いた敷地の一角に、小さい美術館をオープンさせました。それが1977年のことです。

赤茶の外壁がシンボルのちひろ美術館・東京
赤茶の外壁がシンボルのちひろ美術館・東京(2002年リニューアル後)。木々に囲まれ、練馬の住宅街に美しく佇む。「ちひろ美術館・東京 外観/撮影:中川敦玲」


ファンからの熱い要望と、ご遺族の意向によって始まったのですね。

中平さん:ちひろの夫である松本善明(まつもと・ぜんめい)が、ちひろの死後に家族を呼び集め、「もし人々が望むのなら、ささやかであっても、ちひろの残したものを人類の遺産の一つとして位置づけたい」と相談し、美術館を始めることになったそうです。ちひろ美術館は、遺族が中心となって財団法人(現在は公益財団法人)を設立し、運営されています。これまでちひろの絵を愛してくれた皆様に、これからも楽しんでいただけるように、活動を通して還元していきたいという思いでスタートしたのです。

赤ちゃんのときから美術館へ。「ファーストミュージアム」としての役割

ちひろ美術館は「ファーストミュージアム」をうたっていますが、具体的にはどのような活動でしょうか?

武石さん:ちひろ美術館には、小さなお子様にもたくさん足を運んでもらいたいと思っています。美術館は2002年に全面建て替えをしていますが、それを機にバリアフリーにし、子供連れでも利用しやすい建物になりました。授乳室を設けたり、男性用のトイレにもオムツ替えの台を設置したりと、世の中に「イクメン」という言葉がはやる前から、設備を充実させていたんですよ。自慢になってしまいましたね(笑)絵の高さも一般的な美術館よりも若干低めにし、お子さんや車椅子の方でも見やすいように工夫してあります。

建て替えをしたことでハード面はクリアしたのですが、それでもお客様は気持ちの面で、「小さい子を連れて美術館に行くのは迷惑では?」と思ってしまうようです。

子供連れでももっと美術館に来やすいようにアプローチしたいなということで、提唱したのが「ファーストミュージアム(人生で初めて訪れる美術館)」です。

バラにかくれる子ども 1972年
子供が愛くるしく描かれた、いわさきちひろの絵。「バラにかくれる子ども 1972年」


もともといわさきちひろは、子供や赤ちゃんの絵をたくさん描いています。そういう意味では、小さい子がいるお母さんでも親しみやすい作品が多いのではないかと思います。高校生以下は入館料無料にしてあり、赤ちゃんだけでなく、感受性豊かな子供のうちに美術館に来て欲しいなと思います。そのために、子供や親子向けのイベントなどを開催して、美術館に来やすい環境になるよう工夫しています。

「ファーストミュージアム」として活動することで、お子さん連れが増えましたか?

武石さん:そうですね。お母さん同士がここで知り合いになり、一緒に来たりすることもあるようです。子育て支援施設はだいたい区の中心にあるのですが、杉並区と練馬区の区境に近いこの辺は少ないです。なかなか子育て支援施設に行く機会がなかったけれど、「子育て広場」の出張版を美術館でやっていたので初めて足を運んでみましたという親子もいました。館内には「子どものへや」があり、そこでは子供と一緒に絵本を読んだり、遊んだりすることもできます。

子どものへや
美術館が開館している時は、いつでも開放されている子どものへや。おもちゃや絵本が置いてある。「子どものへや 撮影:嶋本 麻利沙」


展示室にも0歳から入れますか?

中平さん:もちろん0歳から展示室に入れます。子供だから入れないというのはありません。美術館でのマナーについて、あかちゃん/子供のための鑑賞会では、展示室へ行く前に皆さんにご説明しています。子供でも幼児ぐらいになると、きちんとお話しすれば理解できるようになります。ですから、「まだ子供には早いのではないかな?」と遠慮しないで、むしろ積極的に来て欲しいと思います。

美術に親しみを持つ第一歩に。子供向けのイベントを開催

ちひろ美術館で開催されている、子供向けのイベントについて教えてください。

中平さん:展覧会の会期ごとに、「わらべうたあそび」を開催しています。わらべうたはメロディーが簡単で覚えやすいですし、親にとっても子育てのヒントがたくさん詰まっています。絵本と親和性もあり、わらべうたは文学の入り口とも言えるのではないでしょうか。このイベントでは、リズムに合わせて体を動かしたり、わらべうたを歌って親子がリラックスしたりして、楽しんでいただいています。

武石さん:0〜2歳を対象にしていますが、かつて参加したお子さんがお兄さん、お姉さんになって、下のお子さんと一緒に参加してくれることもあります。この会は、もう10年ぐらい続いている人気のイベントで、申し込みを開始するとすぐに予約でいっぱいになってしまいます。

たくさんの親子が参加する「わらべうたあそび」
たくさんの親子が参加する「わらべうたあそび」。10曲ほどのわらべうたを、親子でたっぷり歌う。講師:服部雅子(西東京市もぐらの会代表・はとさん文庫主宰)


ちゃんのための鑑賞会も開催していますね。

武石さん:文化庁の助成事業で、赤ちゃんや幼児と保護者のための作品鑑賞会をおこなっています。ちひろ美術館のイベントでは、外部から専門家をお呼びしており、お客様が一定水準のものを受けられるようになっています。鑑賞会の講師は、これまで何千組という親子向けに鑑賞会を開催しているベテランの先生です。

どのように鑑賞をするのでしょうか?

武石さん:鑑賞会では、展示室で好きな作品を自由に鑑賞します。そして親子が鑑賞している様子を見ながら、講師が一人一人にお声がけをしていきます。

子供が人の顔ばかり見て作品に興味を持たない時も、「今は人の顔に興味がある時期かもしれないから、人の顔が描かれた絵なら興味を持つかもしれないね」と教えてもらえます。たとえ子供が展示作品に興味を持たなくても、「せっかく来たのに・・・」と思うこともなく、親子でリラックスして過ごせます。

「あかちゃんのための鑑賞会」の様子
「あかちゃんのための鑑賞会」の様子。赤ちゃんでも、じっと絵を見ている姿が印象的。講師:富田めぐみ(NPO法人赤ちゃんからのアートフレンドシップ協会代表)


ワークショップもありますよね。

武石さん:5歳以上のお子さんから参加できる、いわさきちひろの水彩技法を体験するワークショップがあります。親子で参加することも、おばあちゃんおじいちゃんと3世代で参加することもできます。

中平さん:ワークショップで体験してからちひろの作品を見ると、「これはどうやって描いたのかな?」と、最初に見た時とは違う視点で作品を見ることができるようになります。

いわさきちひろの絵は、一見、簡単に描かれているように見えますが・・・違うのですか?

武石さん:簡単そうに見えるのですが、実はとても高度なテクニックで描かれています。ワークショップに参加すると、「楽しかった」という感想とともに「難しかった」と言う参加者もいます。その「難しかった」を体験してもらうのも、ワークショップの目的です。画家の技量、技法を理解することができるのです。

ちひろの水彩技法ワークショップ
ちひろの水彩技法ワークショップ。ちひろが得意とした絵の具のにじみを体験。


全ての人に開かれた美術館であるために

今後の目標はありますか?

中平さん:時代は変わるので、美術館もそれに合わせていきたいと思いますが、ちひろ美術館が設立当初に掲げた「子どものしあわせと平和」「絵本文化の発展」という基本理念からはぶれずに、これからも活動していきます。

ちひろは青春時代に第二次世界大戦を体験しています。さらに晩年には、ベトナム戦争を目の当たりにしました。罪もない子供たちが戦争に巻き込まれて命を失っていくということを、大人として二度と繰り返してはならないというのが、ちひろが画家を目指す大きな原動力になりました。今でも、絵本を楽しむことすらままならない子供たちが世界中にいます。もしちひろが生きていたら、どう考えて、どう行動するか、ということを考えながら、美術館としてできることに取り組んでいくのが私たちのミッションだと思っています。

現代の日本には幸い戦争はありませんが、虐待の問題や貧困の問題がありますよね。美術館に連れて来てもらえるお子さんは、恵まれているのかもしれません。もしかすると、本当に助けを必要としている人は、来ていないのかもしれません。そのような人たちのために、アウトリーチをしていく方策はないかと考えています。簡単なことではありませんが、美術館に来られない人に、どう思いを届けるのかということも今後の課題の一つです。障害がある人、ない人、そしてあらゆる世代の人に開かれた美術館でありたいと思います。

写真提供:ちひろ美術館・東京(一部写真除く)